劇場版少女☆歌劇レヴュースタァライト 感想

自分の背景は以下です。

26歳男性。ゲームと漫画のオタク。

アニメは1年で2,3作品くらいたまに見るくらいの浅瀬。演劇は知らない。百合系コンテンツにも距離を置いてる。

 

先々週まで「少女☆歌劇レヴュースタァライト」というコンテンツの存在自体を知らないオタクだったのですが

「劇場版がなんか映像体験として凄いみたいな感じでTLで評判になってるから気になる!」→「ウテナ?とかピングドラム?とかの監督の弟子の人の作品らしくて人は選ぶらしいし、総集編のロンドロンドロンド見てみよう」→「ロンドロンドロンド見たけど思ったより面白かった(特に露崎まひると大場なな)からアニメ版見よ」まで履修して先日劇場版を見てきました。浅瀬です。

 

トータルとしては映像100点 音楽100点 制作者からキャラクターへの愛80点 メインテーマ80点 よくわかんないシーンで-20点 みたいな映画でした。

よくわかんない系のシーンが苦手! 百合コンテンツが苦手! 原作履修が面倒!の3点がなければオススメできる作品だと思います。自分は考察系作品や百合コンテンツには苦手意識あった方ですが見に行って良かったな~とはなってます。

 

以下、アニメ版も含めての劇場版ネタバレ感想です。色々順序だてて書こうとしましたが、情報量が多く難しかったので箇条書きしていきます。アウトプットしたい欲が強いので色々殴り書きました。

 

 

 

 

・皆殺しのレヴュー

ひたすら格好良い。二刀流剣士が1振りの刀で圧倒してその後もう1振りが電車から射出されて無双するの、"男の子"だったね。トンネルとか血の舞台装置とかも含めてひたすら不穏で陰鬱な空気、大場ななさんの存在感と、それまでの「現実世界」から「レヴューの世界」に一気に引き込まれる名シーン。

 

絵面・音響の凄さが良すぎて忘れそうになるけど、「次の舞台を意識できている天堂真矢は殺さない大場なな」とか「次の舞台=目標=進路を決めかねている大場ななと華恋ちゃんは別の電車で談笑する」とか、メインテーマである「進路=次の舞台」を把握してから振り返るとかなりメインテーマについてかなり触れていたシーン。

「セリフを言う大場ななに対してセリフを返せない元舞台少女たち」辺りはサブテーマである(と俺が勝手に感じた)「演じること」とかにもリンクしててこのレヴューだけで色々言えそう。

 

 

・怨みのレヴュー

このレヴューについて語るってことは双葉と香子の話になるのだけれど、この二人絡みのエピソードはアニメでもかなり自分は「微妙だな~」と思いながら見ていて、その理由はある程度分かっています。主な理由は以下2点。

 

1.この二人だけでほぼ完結している関係性である

 

2.二人の心情はある時点から最後まで「両想い」であり、概ね結末も「ハッピーエンド」と確約されている

 

この二点が揃うと自分の中では「とっとと幸せな結末になって終われよモード」になってしまい、興味の対象外になっちゃうんですね。世の9割のラブコメや恋愛ドラマが楽しめないのも同じ理由なんですけど…。

そんな風に思ってたので、その関係性と定められた結末について香子が「ウチらしょうもないわ」と自己言及し続けちゃうのはちょっと笑っちゃいました。普通に二人の関係性が好き!って人どういう気持ちで見てたんだろってなる。俺は「確かにしょうもないって思ってたけど自分で言っちゃうんだ…なんかごめん」って気持ちになってました。

あと、レヴュースタァライト、百合作品としての側面は明確にあるわけですが、このカップリングに関してはかなり男女のロールがハッキリ明示的に分けられてて百合感が無いなぁってのも改めて思いました。

 

 

デコトラ

なんでデコトラ???????って思い続けてたら監督インタビューで「趣味です!!!出したかったんすよ!!デコトラ!!!!」って言われてて「そっか~!!!出せて良かったね!」ってなりました。

色々置いてけぼりにされたけど、なんか音楽は格好良かった気がするし、ピカピカしてパチスロみてぇだなぁって思いながら見てた。映像の意味はまっったく分かんないし置いてけぼりにされっぷりに心は苦笑してるのに、映像とか音響は凄いから身体は勝手に喜んでる感じ、初めての体験でした。

 

 

・競演のレヴュー というかまひる

露崎まひるについて語らせて下さい。このために筆を執ってます俺は。

アニメ版で一番見てて楽しかった舞台少女が露崎まひるさんです。

 

以下、アニメ5話の「嫉妬のレヴュー」回の好きなポイントです。

1.枕嗅いだり、間接キスしようとしたり、華恋ちゃ~ん☆の寸劇とかするトンチキ片思い変態童貞レズ描写が好き(これは俺のコメディラインに響いてるだけです)

2.野球盤と猫ちゃんマスコットのステージの演出がポップで見てて楽しい

3.曲、恋の魔球がピコピコポップな音声だったり掛け合いもあったりで楽しい ホームランの終わり方も完璧

4.レヴューという概念、普通にアニメ見てると「なんでこいつら宝塚っぽいとこで演劇してたのに突然決闘しはじめんの?」「急に歌うよ~じゃんw」「聖杯戦争ってこと?龍騎?」「ポジションゼロ!ってなんだよw」ってなるし、その辺明確に説明されないまま進行するアニメなんですが、ある程度見てると「レヴューシーン=少女同士のクソデカ感情のぶつけ合い」ってわかってきます。その「クソデカ感情のぶつけ合い」が「恋慕」「嫉妬」なのでとても分かりやすい。

 

上記を踏まえて、劇場版のまひるちゃんvsひかりちゃんパートである「競演のレヴュー」なんですが、完璧でした。

以下、競演のレヴューの良かったポイントです。

5.アニメで見せたまひるちゃんのアイデンティティである「華恋ちゃんへの疑似恋慕」を継承した「華恋ちゃんの関心を独占するひかりちゃんへの嫉妬や怨嗟」を主軸にした(結果的にオタクの見たい部分を"演じ"ている)

6.でもそれは「演技(?)」=「ひかりちゃんとの競演」であり、「華恋ちゃんから逃げているひかりちゃんを舞台に立たせて華恋ちゃんとレヴューさせるためのアシスト」だった。まひるちゃんはアニメ版ですでに精神的に成長し、「真昼のような演技をする舞台人」を目指すキラキラした舞台少女になれているので素直に「ひかりちゃんと競演できて良かった」と言える子になってる。

 

 

5の部分しか描かれなかったら、「まひるちゃん、アニメからずるずる華恋ちゃんへの恋慕引きずってるじゃん!嫉妬のレヴューなんだったんだよ!成長なしかよ!」ってなるし、6の部分だけでも「まひるちゃん、狂気がなくなってなんか優等生的な薄味な子になっちゃったな…」ってなっていたと思うんだけど、その両方の部分がしっかりと描かれたので完璧でした。

あとレヴュースタァライトの世界観的には演技である=100%偽りということではなく、むしろ本音や境遇と通ずる演技ほど真実味を増し良い演技になる(序盤、演劇練習シーンにてひかりちゃんを思いながら「友よ何故行くのだ」をする華城ちゃんが名演として周囲に拍手される等)文脈があるので5.も本音交じりだから名演となった可能性が高いとこまで含めて良いですね。

野球盤モチーフやマスコットいっぱいの舞台もパワーアップしてたのも嬉しかったです。

 

童貞拗らせヤンデレ依存メンタル恋愛感情を持つまひるちゃんは狂ってるキャラクターだから見ていて面白くて最高だし、嫉妬のレヴューを経ることでそこから脱却して一人の舞台少女として作中で断トツの精神的成長を遂げてるまひるちゃんも人間として最高で、その両面が描かれた"競演のレヴュー"は最高だなぁっていう話です。

 

あとカップリング的な話をすると、舞台少女は9人であり、双葉香子、真矢クロ、純那なな、華恋ひかりの4組8人がフューチャーして描かれるんですが、まひるちゃんは華恋ちゃんへの疑似恋慕片思いが玉砕したあとはソロとして生きていくことを定められているんですよね。もう配役上の定め。なので「嫉妬のレヴュー」以降の彼女は自己肯定ができる独立した舞台少女になるわけです。特定の人物に依存しない人間、強くて素敵ですね、という話でもあり、俺の嗜好なんだろうなという気づきにもなりました。(なので根本的に百合作品に向いてない気がします)

 

 

・狩りのレヴュー

執拗に自害を薦めまくる大場ななさんの感情の押し付けが強火すぎて見てる途中ひたすら笑っちゃった。片足で同級生に切腹用の刀を押し出すな。

純那ちゃんのどんな相手にも怯まずに一位を目指す姿が眩かった→諦めて「今は」を多用して早稲田大学行きますとか言うようになっちゃった→切腹しろよの流れ、「現実を見据えて将来的に成果が出るプランを取ったつもり」の星見さんからしたら理不尽すぎてそりゃ戸惑い続けるしキレるわって感じですね。

 

チェンソーマンのマキマさんとかも解釈不一致オタクのなれの果てとか言われてたし、最近こういったキャラ造形がウケる流れになってきてるのかもしれないなぁとか思いました。

あと軍服とか、がーおとか、皆殺しのレヴューも踏まえて、劇場版の大場ななさんはかなり「オタク、こういう『強キャラ』としての大場ななさん見たいんやろ??」という監督からの目くばせがあったというか、「演じて」いたなーって風にも思いました。まぁ自分も狂っているキャラクターのが好きなのでレヴュースタァライトではまひるちゃんと大場ななさんが好きなんですが。

 

あとメインテーマ的には「裏方か役者か決めれていない」「そもそも本編でループを発生させており変化・未来といったものに人一倍恐怖している」ばななさんが、「人生の選択」の話である今作で強キャラムーブをし続けたりするのはちょっと違和感があった感じはあります。だからこそ舐めプし続けた末に星那さんに負けた感じもありますが。

 

 

・魂のレヴュー

あんまり演劇は詳しくないけどファウストメフィストフェレスっぽいことは分かったし、序章~4章立の構成、普通の舞台で展開されるシーン、真矢さんが色々な女優に切り替わるシーン、と全体的にかなり演劇リスペクトがあるレヴューなんだろうなぁってのは伝わってきて、アニメだと個性・ロールの一部として描かれるのみでそんなに描かれなかった「演劇に一番努力している主席と次席である」側面が強く伝わってきて良かった。あと作画がめちゃくちゃ力入ってた。1vs1のレヴューバトルシーンとしては一番クオリティ高いレヴューだったと思う。

 

あとカップリング的にはこういうライバルカップリング的なものはあんまり恋愛感情の欠片を感じ取れないというか、「こいつらは一生バチバチやりあっていくんだろうな 性別とか恋慕とかとは縁無く」と思っちゃうのでピンとこないタイプです。根が少年漫画脳なんだろうな。サンジとゾロのBL本見つけてしまい驚愕した少年の心のまま。

 

 

・キリンが野菜だったり燃えたり

キリンが観客の総体的な概念であることはアニメでは理解したつもりだったけど、劇場版ではよくわかんない奴になりました。野菜になるやつは絵画「夏」をモチーフにしてるのは分かったけどなんで「夏」になったり燃えたりするのかとか開幕遅刻ダッシュしてるのかとかはなんもわかんないのでこの辺は思考放棄しています!!!

津田健次郎は好き。

 

 

・トマト

これも思考放棄してます!!!

 

 

・華恋ちゃんvsひかりちゃんレヴュー (なんのレヴューだっけ?レヴューじゃない??)

背景ピカピカ大名乗りが格好良いね。これもちょっとパチスロっぽかった気がする。CRレヴュースタァライト、相性がよさそう。(確変でアタシ再生産が台の上から生えてくる)

 

 

・華恋ちゃん過去全般

中学時代の華恋ちゃんの普通の学生としての側面が描かれ、同時に「ひかりちゃんとの約束のために他愛もない放課後を切り捨てていた」ことの描写でもあり、良いね~ってなりました。「普通の女の子の喜び、楽しみを捨てて」舞台少女となって競い合って、同じように色々なものを犠牲にしてきたライバルを蹴落としていくことの残酷さ。

 

 

・華恋ちゃんがT(ポジゼロ)になってマッドマックスするシーン

デコトラと同じノリ(監督がこの絵面作りたかっただけだろ!!!)を感じたけどなんかクライマックスっぽいノリと勢いと強い絵面で、5割苦笑、5割感動みたいな変な気持ちで見てた。冷静に振り返ると意味不明なシーン。夢???

 

 

・ポジゼロ全般

アニメで毎話使われ、「主役の獲得=勝利の象徴」として描かれたT(ポジションゼロ)は、劇場版でも「東京タワーから吹き出る」「クロ真矢の契約」「可憐ちゃんの服の傷」等無限に色んなモチーフに事あるごとに使われていますが、アニメと同じ使われ方は全くされませんでしたね。唯一ポジゼロ宣言しかけた真矢さんも失敗して、「アニメとは違うルールになっている」=「そもそも願い成就を賭けた2年前のオーディションではない」=「舞台も舞台少女も変わっている(く)」こととかの表現なのかなとか思いました。

あと東京タワーから無数のポジゼロが吹き出たりするのは「ひとつのポジゼロを奪い合う」ステージから「各々のポジションを目指す」舞台へ転換されたからかなとか思いました。それが主役じゃなくて端役でも裏方でも、目指すポジションなら良いんだよという我武者羅に「一番」を目指す少女ではなく、社会的役割で収まれる位置を探す「ポジション」みたいな…。 

愛城華恋さんがポジゼロになるのは意味不明だったし考えるのを辞めました!!!

 

 

・メインテーマ「列車は必ず次の駅へ 舞台は? 私たちは?」について

劇場版レヴュースタァライト、上述の通り、あまりに膨大な格好良い絵面やトンチキな絵面、メタファーと引用、突っ込みどころとレズバトルが展開され続けたので、要素は非常に多いんですが、メインテーマはシンプルです。「アニメで描かれた後の舞台少女はどうなるの?」「第100回スタァライトの次は?」つまり「列車は必ず次の駅へ 舞台は? 私たちは?」な訳ですね。問題提起のシーンである「皆殺しのレヴュー」で「列車は必ず次の駅へ」はメインフレーズとして多用されますし、クライマックスでは愛城華恋による「列車は必ず~」へのアンサーを持って幕を閉じます。

「そのお話で描かれた各キャラクターのその後はどうなるの?」というのは作品を見て、キャラクターに感情移入した観客が抱く素朴な疑問であり、ファンの「続きを見たい」という普遍的な欲望でもあるので、それに応えると同時に、「ひかりちゃんとの約束一本で人生を演劇に捧げて星翔学園まできちゃってた愛城華恋は今後どうなるの?あとそもそもそれってめっちゃ異常じゃない?」と向き合う映画だったと思います。

 

つまり「人生の選択」という普遍的で王道なメインテーマでした。

 

こうやって他人事として、観客として舞台少女の物語を眺め、高い目線(キリンの如く)から感想や批評を書いたり読んだりしている私たちの人生にも常に分岐点があります。私たちも進路面談をしたり、就活をしたり、恋愛やら結婚やらをする相手を決めたりしながら人生を進めていくし、今後も生きてる限り進めていかないといけないんですから。

「自分のなりたい姿を決める」「目標を定めて努力する」ということが苦手、というか実現できたことのない、努力放棄人間の自分にはかなり刺さってしまうメインテーマでした。今の労働も「なりたい姿」を全く決めれていないままだらだら続けているので、転職、しようかな…という気持ちになったりしました。(どくいろくんの人生のこういう部分については詳しくは就活失敗記事などを読もうね!)

 

 

 

以上です。