スパイダーマン:ノーウェイホーム 感想文

 

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めっちゃくちゃ良い映画だった。

どこが良かったのか、語ろうとするとネタバレを避けるのが困難なタイプの作品なので、見ずに来てる人は見てくれ。本当に。

 

シリーズもの作品なので、これ見てないと置いてけぼりになるかも~っていうマスト視聴は前作1,2になる

スパイダーマン ホームカミング」

スパイダーマン ファーフロムホーム」

 

後はベター視聴の

サム・ライミスパイダーマン1、2、3とアメイジングスパイダーマン1、2

この辺は趣味レベル

ドクター・ストレンジ」「アベンジャーズ インフィニティウォー」「アベンジャーズ エンドゲーム」とか

 

はいこんな風に書くと「あ~シンエヴァみたいな長年追ってきてるシリーズオタク向けのやつね…」「いやアベンジャーズ?とかMCU?とか知らんし…多すぎるし…」みたいに思われるだろうけど、マスト以外は知らずに見ても全然良いと思う。

俺も別に特別スパイダーマンやアメコミの大ファンです!って訳ではない。サミ・ライミ版は幼少期に見たっきりでかなりうろ覚えだし、3は見てないし、コロナ渦で暇すぎたから友達とMCU全部見たけど正直面白いと思った作品は30何個かのタイトル中5個くらいだったから他人にMCU全部見ろなんて全く言えない。その時間でもっと面白い映画見てくれ。

ネタバレ抜きで言える数少ない感想の一つは、ノーウェイホームの秀でたポイントの一つに「シリーズの文脈がある作品でありながら単体の物語として秀逸」って点なので、歴代追ってなくても100点満点で80点、シリーズをある程度知ってたら200点になるみたいな作品だと思ってもらえればOKです。

 

 

以下ネタバレ感想です。

 

 

 

 

 

 

 

あ~~~~最高のヒーロー映画でした。

 

見ていた思ったことが、かなり複数の要素を持っていて重なり合っている作品だなぁって点なので、3つのポイントに分けて感想を書いていきます。

 

 


1.アメコミヒーロー映画アンチテーゼ作品としての「スパイダーマン:ノーウェイホーム」


 スパイダーマンという作品のヴィランは大体「格闘戦で打倒された末に暴走した〇〇によって死亡して退場」or「捕縛されて警察に渡される」という末路を辿ってきたのだが、この作品はそれに疑問を投げかけるアンチテーゼ的要素が主軸になっている。
要は、ヒーローものに対して行われる意地悪なツッコミである「ヒーローって結局ヴィランは救わない(救えない)でぶっ倒すよね」に対する回答で、「じゃあヴィランを救う話をやってやんよ」。
作中中盤のストレンジvsトムホパーカーの対立は、「対症療法・ヴィランは倒す・テンプレアメコミ映画的結末・ローリスクで最小被害を目指す大人」vs「原因療法・ヴィランも救う・斬新な結末・ハイリスクでも被害者0人を目指す若者」の対立になってる。

 

このテンプレアメコミストーリーに対するアンチテーゼをやるにあたって、実写スパイダーマンという土台は最適だったな~って思う。そもそもスパイダーマンに登場するヴィランに「根っからの悪人」「対話不能の宇宙人」等が少なく「何らかの事故が原因で異能の力を得て暴走してしまっている元一般人」が9割であり、救済をするにあたってとても相性が良かった。アメコミのテンプレヴィラン誕生パターンが研究事故であることが偶然にも活きて、事故を治療さえすれば大体は元の一般人に戻れるのだ。ヴィラン、自分を対象にした人体実験で生まれすぎ。

また、視聴者が実写スパイダーマン歴代作品を見ていた場合、各作品の暴走して救われなかったヴィラン達の末路を知っているので、「救われたこと」による感動が大きくなる。ループもの作品で悲惨なエンディングがあるからこそ、ハッピーエンドに到達すると感動できるのと同じ現象だ。ポッと出のヴィランを彼は暴走しているので救いましょう!はい救えました!ってやってもそんなに感動はできない。

更に「脚本がうめぇなぁ」ってなるポイントとして、上記のアンチテーゼ的な行為、原因療法ををスパイダーマンが実行するきっかけは、トムホパーカーの保護者であり良き理解者であるメイおばさんによる提言の結果であるという点。そのメイおばさんが作中で死に、トムホパーカーが凹んだ末に遺志を継ぐことで「治療して元の世界に帰すこと」に正義の上に「遺志という重み」が乗っかかって大きな意味付けと、感動につながる。

更に、そのメイおばさんの死は通称「大いなる力には大いなる責任フェイズ」と呼ばれるスパイダーマン恒例の「自分のせいで近親者が死ぬことで塞ぎこむが、結果的により強く正義に目覚め、ヒーローとしてのオリジンエピソードとなる」フェイズであり、ある種のパロディかつシリーズへのリスペクトも兼ねている。スパイダーバースでは、登場する並行世界のスパイダーマン達も皆自己紹介でこの話をするというネタにもなっており、蜘蛛糸・壁這い・スパイダーセンス等に次ぐ「スパイダーマンを定義するもの」の一つとして公式もカウントしている要素だ。
つまり、「メイおばさんによるヴィラン救済の提言とその死」は、アンチテーゼ的展開をする作中での強い意味付けかつ、トムホパーカーの成長を描くエピソードかつ、ファン向けパロディネタにもなっている、三段構造になっており、作品をとても濃厚にしている要素の一つになっている。脚本が上手い~~~~。

 


2.全キャラ大集合シリーズ大決算作品、過去作リスペクト作品としての「スパイダーマン:ノーウェイホーム」


 予告の時点でスパイダーマン実写映画過去作で出てた、「Dr.オクトパスとかエレクトラが並行世界からやってきちゃうよ~」といった旨が公開されており、ふーん面白いことするじゃんくらいの認識だったけど、その想像の10倍を超える「スパイダーマン実写映画シリーズ総決算作品」という性質を持つ作品だった。

まずは過去作ボスキャラ達と戦っていくシーンでは、Dr.オクトパス戦でスパイダーマンの背後から4本のアームが出てきてちゃんと「8本脚vs8本脚」戦闘が行われるのが良かった。「8本脚vs8本脚」は当時スパイダーマン2のキャッチコピーにもなっていたのだけど、まぁ実際は4本脚vs8本脚というお約束の突っ込みがされていたのだけれど、スパイダーレッグはアイアンマンが残したナノマシンスーツの一機能によりついに「8本脚vs8本脚」が実現する。ちょっとクスっとくるシーンだ。Mtgオタク向けに言うとフレーバーテキストの人がカード化するみたいな伏線回収だ。

そして、中盤からはサム・ライミ版、アメージング版両方のピーター・パーカーが出てくる。俺は役者の顔をすっかり忘れていた(オタクは人の顔を覚えるのが苦手)ので最初「?」「適当な別世界のスパイダーマンがなんか来ちゃったってネタ?」って感じだったけど、台詞とか演出とか見てるうちに流石に「あっこいつらマジでサムライミの奴とアメージングの奴の役者だし設定も全部引き継いでるのか」って気づいてうおおおおおってなった。

で、実写歴代3人のピーターパーカーが揃ってから見ていて一番感動したシーンは「自由の女神から落下するMJをアメージングスパイダーマンが救出するシーン」であり、これは「アメージングスパイダーマンは2で落下するヒロインを救えなかったヒーローである」という文脈が乗っているからだ。
自由の女神像から落下するMJのシーンが映った瞬間、俺にはアメスパ2のグウェン落下シーンの、くどいまでのスローモーションで落ちていく様がフラッシュバックした。そして「これ、アメスパが救うやつやん」と確信した。そして実際にアメスパが救出し、アメスパ役俳優の「やってやったぞ!」「今度は救えた!」ということが顔から伝わってくる熱演があった。一緒に見たアメスパ未視聴の友人も「あれ絶対過去に救えなかったことがあるやつやんって顔から伝わってきた」と言っていた熱演だった。展開が読めていたにも関わらず、震えた。

スパイダーマンは、基本的に正体を秘した二重生活を送るヒーローであるが、同時に彼自身はスパイダーマンに決して救済されることもなく、スパイダーマンをやることによって地位を得たり儲けたりすることもない、報われない孤独なヒーローだった。(そういう意味では、トムホパーカーはアイアンマン・ネッド・MJ達から全面的支援を受けており異質のスパイダーマンであった)そしてスパイダーマンの映画は、時に暗いといわれるように、その孤独なヒーローが上手く行かない二重生活や、ヒーローをやってるせいで身内が攫われたり被害に遭うことに傷つき苦しむ物語でもあった。
そんなヒーローにとって、最大の後悔である「恋人の死」が救われた瞬間だった。震えた。敵役を救済していく話だと思っていたらそこまでちゃんと救済するのか…と不意を打たれ、同時に過去のキャラクター達への「愛」「リスペクト」を感じた。

勿論、歴代スパイダーマン3人が会話をするというシチュエーションならではの小ネタ・パロディも盛り沢山。「大いなる力には大いなる責任が」タイムあるあるで意気投合する3人からこの3人の交流は始まるし、アメージングスパイダーマンが印象に残っている敵としてライノ(アメスパ2の終盤5分とかに出てきてこれからもスパイダーマンの戦いは続く…的な打ち切りエンドに使われるキャラ)を挙げて自分だけスケールの小ささに凹んではそこを「いや、君はアメージングだから!」とフォローされるシーンは声を出して笑った。

小ネタの拾い方はオタクだし、それぞれのキャラクターの救い方は愛があるし、「オタクの愛情で描かれた同人誌」(この言い方自体は抵抗があるが)という表現はとてもしっくり来た。役者の顔忘れるくらいのにわかさではあるけど、なんやかんや長年スパイダーマンというものを見続けてきたんだな、となれる要素だった。

 

 

3.一本の映画、トムホパーカーの成長青春映画としての「スパイダーマン:ノーウェイホーム」


 ノーウェイホームの素晴らしい点の一つは、上記1.2.の要素を持ちながら、MCUスパイダーマンシリーズの続編として、主人公であるトムホパーカーの成長青春映画としてとてもクオリティが高い点だ。特に2.の要素と両立するのは難しい。歴代リスペクトをした作品はどうしても歴代を熱心に追っているオタク「だけ」しか楽しめない作品(時のらせん現象)になってしまいがちなのだけど、トムホパーカーの物語としてもしっかりやっているのがノーウェイホームの一番凄いところだと思う。

早々にエンディングの話をするが、「バタフライエフェクト」的な、ヒロインの安寧を取り自分は身を引き、誰も自分のことを知らぬ町(というか世界なんだけど)で一人ヒーローとして活動する終わり方はとてもほろ苦くて、「トムホパーカーの青春の終わりと大人への成長」を描くと同時に「スパイダーマンとしての原点回帰」となっており、こちらも二重構造であり秀逸になっている。
「ホームカミング」「ファーフロムホーム」2作でたっぷりとトムホパーカーとネッドの友情やMJとの恋愛模様等の青春を描きつつ、「アベンジャーズの一員にしてアイアンマンの弟子」としてナノマシンスーツで変身したり、8本脚になったりの超ハイテクヒーローの側面もあった特異なスパイダーマンだったのが、「誰も自分の正体を知らない町で一人手製のスーツで警察無線を傍受して悪党を捕まえに行くスパイダーマンの原型」になって終わる。この終わり方は大人になった切なさと、孤独な悲痛さと、自己犠牲的な美しさがあり、そして「ああ、これがスパイダーマンの姿だ」と原型に立ち戻っているとても郷愁に語りかけてくる終わり方で、胸が一杯になった。前2作でたっぷりと獲得の物語をして最後の最後に喪失の物語をすることで、要素が削ぎ落された、サム・ライミ版で言うところの1作目中盤のような状態になるの構成が美しくかつ残酷すぎて最高。

トムホパーカーは他実写映画シリーズのスパイダーマンと比較した際に、一部ファンから「アイアンマンにサポートされたり、親友ネッドがいたり、ヒロインMJも聡明かつ愛情深いし、身内も死なないし境遇が恵まれすぎている」「本人も天才だし」「作風がコメディベースで明るすぎる」「ガキすぎる」等の批判がしばしばあったらしいが、「メイおばさんは自分のせいで死ぬ」「親友とヒロイン含む全人類から忘れ去られる」とマジで全てを奪われてかつ一人でヒーロー活動をする姿にはもう誰も何も言えなくなる。完全に大人だし完全にヒーロー。高卒認定試験を受験するヒーロー。一人暮らし頑張ってな。
あと「ノーウェイホーム」の題名が並行世界から来たヴィランに「帰り道がない」から、トムホパーカーの「戻る場所がない」のダブルミーニングというか意味が変わって終わるのも極上めちゃエモ委員長だよね…。

ここまで完璧に綺麗に話を閉じられると、逆にこっから再登場とか続編とかアベンジャーズに再加入とかできなくないお前?って気持ちになる。境遇的に詰んでるのもあるけどどう足掻いても蛇足にならない?あと、これも全部ミステリオのフェイクニュースが発端って思うとミステリオさんマジ歴代最強のヴィラン。間違いなく特定個人のヒーローに最大規模の傷跡を残したヴィラン。サノスとかより被害大きいだろ。
あと尺の都合でしょうがなかったんだろうけど、ミステリオのフェイクニュースとJJの偏向報道によってスパイダーマンアンチが沸いたり、擁護派が沸いたり、フラッシュ君みたいな奴が出てきたりするのはまぁリアリティと風刺は効いていたけれど、民衆達が「ヒーローに救われてきた癖にカスな言動をし続ける奴ら」になっちゃったのはちょっと悲しかったし人によってはひっかかるんだろうな。ヴィランとヒーローは救済されたが、救われるモブはカスであり続ける物語だった。まぁJJはどのバースでも一貫してスパイダーマンアンチかつ本人は何も酷い目に合わない最悪のミスターサタンみたいなキャラクターであることがアイデンティティからしょうがないんだけど。(あと安易にJJがひどい目に合ってもスカッとジャパンかよ、みたいな感想は出るし)
あとハッピーも元恋人かつ未練たらたらだったメイおばさんが死ぬし、家はついでにグリーンゴブリンにぶっ飛ばされてるしで全然ハッピーじゃなくて可哀そう。

最後とっ散らかった雑記になったけど、まぁそんな感じで、アメコミテンプレ―トへのアンチテーゼをやり初めて面白いことすんじゃん!って思わせながら、同窓会やって過去作のキャラたちを愛を持って救済しながら、トムホパーカーの映画3部作ハチャメチャ良かったね…って思わせてくる超濃厚な2時間半を体験させてくれる映画だった。

 


 自分はXMENやらダークナイトやらMCU全作品やら色々アメコミ映画を見ながらも、アメコミで特定のキャラが好き、特定の作品が好きということは持っていないつもりだった。
MCUを語る際にもアイアンマンが好き!だとかキャプテンアメリカが好き!だとか言う気にはならず、「アントマンは単品映画としてよくできたアクションコメディだよね」とか「あー、マイティソーの映画は面白くねぇの多いよね」とか「キャラ」よりも一歩二歩引いた「作品」って単位で付き合おうとしてきていた。
が、思い返すとサム・ライミスパイダーマンやらUSJのアトラクションやらで小学生低学年の頃から付き合いがあるスパイダーマンは、俺にとってウルトラマンアンパンマンに割と近いフォルダに属しており、「幼年期の思い出のヒーロー」の性質があったんだなという気づきを産む力が「ノーウェイホーム」にはあった。そして、映画館で大人料金を払うようになってからも、MCUスパイダーマンやスパイダーバース等「大人でも楽しめる作品」としてのスパイダーマンとも付き合ってきた。俺はこんなに昔からこのヒーローを見ていて、最近も楽しませて貰っていて、彼らの生き方をこんなにも知っているんだ、と思い知らさせられた。

 

これからは好きなヒーローはスパイダーマンです、と言おう。と思えるようになった一本でした。